和歌山県にある南紀白浜エリアといえば、戦後の昭和30年代から40年代頃には関西からの団体旅行者の定番観光地として、また、新婚旅行のメッカとして大変賑わった街でした。
その頃に訪れる新婚・カップル客の和歌山土産と言えば「紀州雛」という伝統工芸品が定番だったそうです。
そもそも紀州雛とはどのようなものなのでしょう?
ここでは、和歌山の工芸品である紀州雛についてご紹介します。
紀州雛とは
一般的な紀州雛とは、手のひらサイズのころんと丸い形をした紀州漆器で出来たお雛様です。
紀州漆器の艶にまん丸なフォルム、おちょぼ口で切れ長の目元が特徴です。
2004年には県知事指定郷土伝統工芸品となりました。
紀州漆器とは
紀州漆器(きしゅうしっき)とは、和歌山県海南市の北西部にある「黒江(くろえ)地区」を中心に製造されている漆器の一種です。
朱塗りの表面から下地の黒塗りが独特の文様として浮かび上がっていることが、この漆器の特徴です。
経済産業省(当時は通商産業省)により伝統工芸品として指定されており、その中でも日本三大漆器の一つに数えられています。
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紀州雛の歴史
西暦450年頃、神功皇后(じんぐうこうごう)が和歌山県の紀州に滞在中、日本神話に登場する神である少彦名命(すくなびこなのみこと)の姿が大層美しかったので、その姿を小さなお人形に仕立てたことが起源とされています。
その後、紀州公が江戸時代に中言神社に参拝した際に紀州雛が再び登場しました。
江戸時代の初めまで途絶えた「紀州雛」でしたが、昭和初期に「漆器の町」海南市黒江で再び脚光を浴びます。
今の形となる紀州雛が生まれたのは昭和8年の頃で、漆器の産地、黒江の土産になるものをと発案されたことがきっかけでした。
現在の「紀州雛」は、生活様式に合わせて飾ることができ、その大きさと本漆の美しさから、桃の節句のお祝いや和歌山を代表するお土産として多くの人から愛されています。
紀州雛の製造工程
紀州雛の製造方法は伝統の手仕事を基本としており、工程ごとに専門の技術を持った職人が作業する分業制となっています。
成形
ろくろを使って椀や盆などの日用木工品を作る木地師(きじし)が木を削り、それを紀州雛人形の形に仕上げます。
紀州雛人形は全て国産の天然木を使用しています。
下地
彫金の素材となる彫下地を作る職人である下地師(したじし)が刷毛を使って人形に下地を塗ります。
下地には「渋」「漆」「膠(ゼラチン)」などがあり、使い分けしながら使用されます。
この下地の役割は、雛人形の形を整えることや補修することにあります。
上塗り
上塗りは、雛人形を強固で丈夫なものにするための工程で、塗り師が漆を刷毛やヘラで雛人形に塗り重ねていきます。
この上塗りには「下塗り」「中塗り」「上塗り」の三つの段階があり、それぞれが雛人形の仕上がりをより美しくするために行われます。
絵付け
塗り上がった漆器に蒔絵師が筆で絵や模様を描いていきます。
絵付けは色ごとに分けられ、1色ずつ塗った後に1日乾かしてから次の色を塗る…といった細かいプロセスが繰り返されます。
そのため、絵付けの作業だけでも2ヶ月以上かかることがあります。
現代の生活様式と紀州雛
紀州雛の形は、古典的でありながらも美しいフォルムが現代人の感覚にも合致し、古き良き伝統を堅持しながらも、日本の代表的な雛の一つとなっています。
紀州雛の良さは見た目の可愛いらしさも勿論ですが、現代の日本人の生活様式において、小箱に収まるサイズなので収納に困らず、お雛様は飾る場所の制限も少ないです。
シンプルなフォルムなので、メンテナンスも一般的なひな人形に比べて簡単にできます。
貴重な紀州雛を見るなら是非和歌山へ
今では作り手が少ない紀州雛ですが、この伝統工芸品を後世に残そうと紀州漆器協同組合青年部のメンバーが立ち上がり、製造の継続に奮闘しています。
和歌山県庁では桃の節句が近づくと、正面玄関に紀州雛を飾りますし、海南市では毎年2月中旬ごろから「紀州海南ひなめぐり」というイベントが開催され、そこで多くのひな人形が飾られる中に紀州雛も飾られます。
これらは和歌山県民から紀州雛が愛されているという証明と言えます。
紀州雛は長きに渡り男女の仲睦まじさの象徴として、また家内安全の守護神として、これからも長く人々から愛されることでしょう。